駄菓子屋

小学五年生に私がなるまで、学校から150mのところに駄菓子屋があった。そこの店主は80歳の老婆であるのに、肌には弾力があり、当時の私達小学生よりも速く走り、当時の私達よりも声が大きく、何より両耳に通されたシルバーのピアスと、丸刈り頭を染める金色の塗料が印象に残っている。
 その店には猫がいた。淡い紫色の毛並みがきれいにそろっていて、小学生の男子なんかより、いや、女子よりも、いやいや、担任の女教師よりも彼女には品があった。どれだけ名前を尋ねても、金髪の老婆は頑固に教えてはくれなかった。代わりに彼女の品種を教えてくれた。ロシアンブルー。その時、生まれて初めてロシアという国を私は知った。そして、彼女の鳴き声を私は聞いたことがない。いつも澄ました顔で駄菓子をむさぼる私達を見下していた。
 話は飛んで、その店が消える直前の出来事を記そうと思う。(今思えば、あの駄菓子屋には屋号が存在しなかった。私たちはただ駄菓子屋と呼んでいた。)それは夏休みの中盤、八月のある日であった。とても日差しが強く、乾燥していて、メキシコのような夏であった。もしかしたら、あそこは本当にメキシコだったのかもしれない。現に、店先のサボテンが花開いていた。一人で店に行き、うまい棒のコーンポタージュ味を十円と交換した時、団扇を雑に振りながら、今からこの店閉めるわっ、老婆は雑に言った。呆気にとられていた私に向かって、あんたは運が良い、あんたが最後の客さ、ごほうびにとっておきの秘密を教えてやろう、この猫の秘密さ、あんた、こいつの鳴き声聞いたことねぇだろ、実はな、こいつが鳴くと消費税が上がるのさ、これは迷信じゃないぜ、政治家が何をしようが、国民が何をしようが関係ないのさ、こいつが鳴けば上がるし、鳴かなければそのままなのさ、招き猫っているだろう、こいつはその末裔なのさ、(顔を私に寄せて)いいか、この秘密はもう秘密じゃあない、なぜならもうお前に喋っちまったからな、このことを胸に仕舞っていてもいいし、記者にチクッてもいい、お前の自由だ、どちらにしろお前に害はない、だってお前はうちのラストゲストだからねぇ。その日以降、その老婆と彼女を私は見ていない。それから一週間たったある日、スーツを着た人が大勢、駄菓子屋の跡地にたむろしていた。そして、新学期が始まった頃には更地になっていた。
 友達に言おうと思った、両親に言おうと思った、担任に言おうかと迷った。でも、結局今まで誰にも言わなかった。そしてすっかり忘れてしまっていた。だけど、この前の増税が私の脳味噌を掘り起こしたのである。ああ、きっと彼女が鳴いたのだな、と。